掲載2011年5月20日
訳者メモ
「保護責任」という新しい概念を導入し、人権の保護という名目で米国が自由に内政干渉できるとどうなるか? リビアがその先例になりつつあるという話である。
例えば、日本政府には、原発事故を収拾する能力が無いと米国が判断すれば、米軍が日本国民の人権を保護するために、日本の内政に介入することができるということだ。米国の「アドバイザー」が日本政府の震災対応を指導してきたようであるが、当初、政府が放射能汚染の情報を抑制し、国民の想像力を鍛えていたのは、「無能な日本政府」の演出のためであろう。この芝居を菅直人ほど完璧に演じきれる俳優はいない。
今やNHKが放射能汚染を煽り始めた。頼りにならない日本政府ではなく、トモダチの米軍に期待する日本国民が増えれば、まさに米国の思惑とおりに事が進んでいくだろう。

創造的破壊(3)人道的新植民地主義~「保護責任」の危険な先例となるリビア~
Humanitarian Neo-colonialism: Framing Libya and Reframing War
Creative Destruction Part III

リビアに対するNATOの戦争で最も注目に値するポイントは、国際法の根本原則に違反した事実上の新植民地主義的行為(「人道的な」戦争行為)により、国連憲章に違反してもいない独立国に対して明白な軍事侵略をすることを、「世界の世論」(何を意味するのか不明瞭である)が容認したという事実である。このカダフィのリビアに対する戦争により、強制的な政権交代が実現するならば、世界はその意味することに気付くことなく、容認してしまったことになる。問題は、カダフィが良いか悪いかということではない。諸国の民主的な法律としての考え方の問題であり、正当な戦争なのか不正な戦争なのかという問題である。
リビアでの軍事作戦は、これまで受け入れられている国際法の規範に、危険な新しい概念を押し込もうとしていることを意味する。その概念とは、その作者たちによって「保護責任」と名付けられたものである。
潘基文国連事務総長は、リビアでの実力行使を正当化する理由は、人道的な根拠に基づいたと述べ、「保護責任」と呼ばれる原則を持ち出した。これは「国際社会が、大量虐殺、戦争犯罪、民族浄化、人道に反する罪を予防・阻止することに失敗したとき、それを解決するための新たな国際的安全保障および人権の規範」である。[1]
バラク・オバマはアメリカ大統領として、この米国が率いる実質的に不法な攻撃・奪取行為を正当化するために、この最新の概念を利用した。[2]
ヒラリー・クリントン国務長官は、2008年に大統領候補としてこの概念について述べている。「保護責任の原則を採用するに当たり、国連は、一つの国で発生した大規模残虐行為は全ての国の関心事であるという原則を受け入れた」[3]
この素敵な表現は、とても危険だ。ホワイトハウスの内部情報筋によると、意味の不明瞭な「保護責任」を根拠にしてオバマにリビアでの軍事行動を起こさせた主要人物は、サマンサ・パワー大統領補佐官だった。[4]
実際、NATOのプロパガンダの弾幕を利用し、米国政府は、証拠もなく、カダフィの空軍が罪のない一般人を虐殺したと主張した。そして、これが アムル・ムーサとアラブ連盟が、ワシントンの重圧に屈して、英米に法律らしき隠れ蓑を与えるときの、根拠になった。この立証されていない一般人の殺害が、「人道的」な戦争の必要性の根拠になった。それならば、どうしてバーレーン、イエメン、シリアにも、NATOの「飛行禁止ゾーン」爆撃作戦を行わないのかと聞きたくなる。「保護責任」という新たな領域の基準は誰が決めるのか?
ワシントンも、ロンドンも、パリも、リビアでの停戦を真剣に協議する様子はなく、他の国におけるような妥協点を見出そうともしていない。「保護責任」という新ドクトリンには、すばらしい柔軟性がある。誰が何に対して「責任」を持つかは、ワシントンが決めることになる。国家主権は、過去の遺物になる。
2004年にジョージ・ソロスは、国家主権の概念に関し、あまり注目されていない記事を外交政策の雑誌に書いている。
「主権というのは、市民ではなく、支配者と被支配者で社会が構成されていた昔に由来する時代錯誤の概念である。それは1648年のウェストファリア条約で、国際関係の基本となった。(略)今日、全ての国が市民に対して民主的に責任を果たしているわけではないが、主権の原則は、国民国家の内政問題に外部から介入する際に障害となっている。だが、本当の主権は、国民にあり、国民はそれを政府に委任している。政府が、委ねられた権限を濫用し、その濫用を正す機会が国民にないならば、外部からの介入も正当化される」[5]
保護責任
NATOによるリビア介入で示されたクーデターは、何年も根気よく準備されていた。「保護責任」という概念を初めて公表したのは、オーストラリアの元外相でインターナショナル・クライシス・グループの責任者であるガレス・エヴァンズだった。
英米が不法にサダム・フセインのイラクに攻撃する前の年の2002年に、エヴァンズは『フォーリン・アフェアーズ』(エリートたちのニューヨークCFRの外交政策雑誌)で、独創的な論文を発表した。[6]
その中で彼は、人権が理由であれば、どんなに純粋に国内問題であったとしても、一国に介入すべきか否かについて議論を行うべきだと提案し、これは「介入する権利」についての議論ではなく、「保護責任」に関する議論として再構成すべきだと述べている。[7]
この賢い言語的な「枠の入れ直し」は、必然的に国連憲章の第1章第2条に元々定められていた国家主権の平等原則を曖昧にすることになった。1946年に国連憲章に署名した当初メンバー国が、主権国家の国内紛争に国連の警察的な介入を排除することを決めたのには、非常にまともな理由があった。
その紛争のどちらの当事者が正しいかを、誰が決めるべきかという疑問である。基本的に「保護責任」では、中国がチベットや少数民族の人権を侵害していると判断し、NATO軍に人道活動として介入を命じるのは、米国とごく一部の同盟国になるだろう。あるいは、中央アジアで秘密裏にアルカイダやムジャヒディンのネットワークを通じてNATOが武装した暴徒を、モスクワの軍隊が鎮圧しようとすれば、それを理由にして、ロシア連邦の一部であるチェチェンの国内暴動にNATOが介入を決定することになるかもしれない。あるいは、同様の「人道的」な口実を使って、ベラルーシ、ウクライナ、ベネズエラ、ボリビア、さらにいずれはブラジルでも、NATOが飛行禁止空域を求めることになるかもしれない。
いわゆる人道的な「保護責任」のドクトリンは、パンドラの箱を開け、CNNやBBC、ニューヨークタイムズなどの主要メディアを介して世界の世論をコントロールしている権力者たちに、軍事介入という事実上の新植民地政策を正当化できる力を与えることになる。これがガレス・エヴァンズが軽率に「枠の入れ直し(リフレーミング)」と表現したことの本当の意味である。
計画的操作としての「枠入れ(フレーミング)」
マスメディアは、「枠入れ(フレーミング)」のことをよく研究している。この技術は、個人の感情反応を操縦するテクニックのことで、さらに正確に言えば、それぞれの人間にとって単語や語句の意味の認識を操縦するテクニックである。共和党が富裕層の相続税を大幅に減税すること(ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような人物が巨額の財産を維持するため)に支持を集めようとしたとき、ブッシュ政権は、相続税という言葉を「死亡税」という意味に「枠入れ」し直し、誰でもいつかは死ぬのだから、賛成すべきもののように思わせた。富裕層しか相続しないわけであるが、「誰でも死ぬ」という巧妙な「枠」に入れ直したメッセージになったのである。
このように言葉を飾って包装し、特定の解釈を促したり、他の解釈をさせないようにする。「枠入れ」の権威であるスーザン・フィスクとシェリー・テーラーの二人は、人間の認識を操縦する上で、「枠入れ」が極めて効果的な理由を指摘している。精神的な「近道」を作成するというのだ。二人によると、人間は本来、「認知の倹約家」である。考えるのは面倒なので、なるべく考えないようにしたいという意味だ。「枠」に入れることで、情報処理が簡単で素早くなる。そして、人々は、入ってくる情報の意味を解釈するために、前に言われた精神的なフィルターを使うことになる。フィスクとテーラーが述べているように、こうして情報の送り手と「枠」を組む側は、情報の受け手にどのようにメッセージを解釈させるかについて、巨大な力を得ることになる。[8]
「保護責任」として軍事介入を「枠入れ」し直すための大きなテスト・ケースとしてリビアに攻撃しているが、国連安保理事会の承認の有無に関係なく、米国が画策する新形態の過激な軍事介入が、新植民地主義の過激な新形態が、ペンタゴンが追い求めてきた「完全支配」、新世界秩序に向かう大きな一歩が、今や受け入れられようとしている。
またしてもNGO
曖昧な概念の「保護責任」を植え付ける主役の組織は、いつもながらNGO(非政府組織)である。これは、「保護責任グローバルセンター」(GCRP: Global Centre for the Responsibility to Protect)と呼ばれている。有名なロシアの木製人形とよく似ているが、これはしばしば小さな寄付者ネットワークから資金提供されている別の人権NGO(インターナショナル・クライシス・グループ、人権ウォッチ、オクスファム・インターナショナル、難民インターナショナルなど)によって設立された。
ガレス・エヴァンズは、GCRPの国際諮問委員会の共同議長であるとともに、彼が2000年から2009年まで指揮していたインターナショナル・クライシス・グループ(ICG)の名誉会長でもある。
エヴァンスのICGは、かつて謙虚にも「世界の指導的な独立系、非政府系の情報源として広く認知され、紛争に関して諸国の政府や国際組織に分析とアドバイスを提供している」と自ら述べているが、全く独立系でも民主的な声でもない。それは、ペンタゴンが「完全支配」と名付けた目標を達成するためにワシントンの主要な政策集団が創設したものである。[10]
米国と英国の政府から公金を得ることに加え、エヴァンズのICGは、ロックフェラー財団、フォード財団、マッカーサー財団からも寛大な支援を得ている。[11]
「開かれた社会研究所」(Open Society Institute)の創設者ジョージ・ソロスは、ICGの理事会のメンバーである。[12]
2011年1月に絶好のタイミングでドラマチックにエジプトに帰還したモハメド・エルバラダイもブリュッセルに拠点を置くICGの理事会のメンバーだった。[13]
以前は、米国大統領のアドバイザーを務め、デーヴィッド・ロックフェラーの長年の仲間であるズビグニュー・ブレジンスキーがICGを率いていた。その他にもエヴァンズのICGに結び付いた主要人物としては、創設者でNED(米国民主主義基金)の元理事のモートン・アブラモウィッツがいるる。[14]
現在のICGの議長はトーマス・ピカリングである。彼は、元駐モスクワおよび駐エルサルバドル米国大使であり、エルサルバドルで暗殺集団の創設を支援したことを非難されている。ICGの理事には、ウエズレー・クラーク将軍(1999年のユーゴスラビア破壊を率いたNATOの指揮官)やサミュエル・バーガー(米国の元国家安全保障アドバイザー)もいる。元NATO事務総長のエレン港のロバートソン卿も理事である。[15]
こうした顔ぶれを見ると、エヴァンズの「保護責任」が本当は何なのか、読者が再考するための材料にはなるだろう。
エヴァンズのGCRPは、北アフリカと中東で活動をしているが、それだけでなく、オーストラリアの拠点からアジアでも直接の活動を展開している。要するに彼らは、「大量虐殺、戦争犯罪、民族浄化、人道に反する罪」などと定義したものから様々な国の人々を保護するふりをして、「保護責任」という概念を宣伝する努力をしているのである。[16]
国際社会は、巧妙に洗脳され、一言も反対することなく、この過激な新概念を受け入れようとしている。
ワシントンが目標を達成するために人道的なレトリックと米国拠点のNGOを利用することを分析しているオーストラリアのマイケル・バーカーは、「おそらく、「凶悪」なカダフィが本当に米国が支援する独裁者であったなら、(略)米国政府は、カダフィの政治決定にもっと影響力を行使できたはずであり、引退させてもっと米国に友好的な指導者と交替させることができただろう。だが、カダフィは、西側が支援する独裁者ではないため、外部の力が簡単に強制することはできない。だからこそ、世界のエリートたちは、必死になって人道的なそぶりを見せ、内乱でカダフィの敵を支援しているのだろう」[17]
これは、実に危険な先例を作ることになる。そのことに今、多くの国が気付き始めている。
(翻訳:為清勝彦 Japanese translation by Katsuhiko Tamekiyo)
原文
Humanitarian Neo-colonialism: Framing Libya and Reframing War, Creative Destruction Part III(Global Research)
脚注
[1] Ban Ki-Moon, cited in Omri Ceren, March 20, 2011, Commentary.
[2] Bonney Kapp, Obama's Libya Speech: The Highlights, March 28, 2011, CNN, accessed in http://whitehouse.blogs.cnn.com/2011/03/28/obamas-libya-speech-the-highlights/.
[3] Hillary Clinton, 2008 Presidential Aide Questionnaire, accessed in http://globalsolutions.org/08orbust/pcq/clinton.
[4] Indira A.R. Lakshmanan and Hans Nichols, Samantha Power Brings Activist Role Inside to Help Persuade Obama on Libya, Bloomberg News, March 25, 2011.
[5] George Soros, The Peoples' Sovereignty: How a new twist on an old idea can protect the world's most vulnerable populations, New York, Foreign Policy, January 1, 2004, accessed in http://www.foreignpolicy.com/articles/2004/01/01/the_peoples_sovereignty.
[6] Gareth Evans and Mohamed Sahnoun, The Responsibility to Protect, Foreign Affairs, Vol.81, no.6, November/December 2002. pp. 99-110.
[7] Ibid.
[8] S.T. Fiske, and S.E. Taylor,Social Cognition (2nd ed.), 1991, New York, McGraw-Hill.
[9] Global Centre for the Responsibility to Protect, Who We Are, accessed in http://globalr2p.org/whoweare/index.php
[10] F. William Engdahl, Full Spectrum Dominance: Totalitarian Democracy in the New World Order, Wiesbaden, 2009, edition.engdahl.
[11] Jan Oberg, The International Crisis Group: Who Pays the Piper?, The Transnational Foundation for Peace and Future Research, Press Info #219, 15 April 2005, accessed in http://www.hartford-hwp.com/archives/27a/201.html
[12] International Crisis Group Website, accessed in http://www.crisisgroup.org/en/about/board.aspx
[13] Ibid.
[14] Ibid.
[15] Ibid.
[16] Global Centre for the Responsibility to Protect, Who We Are, accessed in http://globalr2p.org/whoweare/index.php
[17] Michael Barker, Stephen Zunes, Libya, and Seemingly Moral Imperatives, March 31, 2011, accessed in http://wagingnonviolence.org//p>
