掲載2010年6月23日
どんな政治家なら理想的なのか?(2)

(1)を出してから2週間以上も放置してしまった。CMをはさんだテレビ番組のように意図的に引っ張ったわけではなく、続きを考えていなかったのである。毎週発行の有料メルマガでなくて良かった。なんとか続きを思い付いてほっと安堵している。
(1)で引用した言葉はアドルフ・ヒトラーのものである。ナチスの政治宣伝として流した言葉ではなく、側近に語ったものが後年出版されたものなので、本心の吐露だと思う。(『ヒトラーのテーブルトーク1941-1944、上下巻』三交社より引用)
もちろん、前回紹介したものは、良い印象を受けるであろう言葉だけを私が意図的に抽出したものであり、ユダヤ人に対する攻撃的な発言など、ヒトラーの残虐性を伝える会話の記録もたくさんある。
ヒトラーが行ったとされる残虐行為については、戦勝国アメリカによる誇張がある。例えば、つい最近のポーランド大統領機の墜落で注目された「カチンの森事件」は、ソ連がやったことでありながら、長い間、ヒトラーのせいにされていた。
失地回復したソ連は1944年にカティンの森を再調査し、死体を再び掘り起こした。同年、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトはカティンの森事件の情報を収集するためにジョージ・アール大尉を密使としてバルカン半島に送り出した。アールは枢軸国側のブルガリアとルーマニアに接触してソビエト連邦の仕業であると考えるようになったがルーズベルトにこの結論を拒絶され、アールの報告は彼の命令によって隠された。アールは自分の調査を公表する許可を公式に求めたが、ルーズベルトはそれを禁止する文書を彼に送りつけた。アールは任務からはずされ、戦争の残りの期間をサモアで過ごすこととなった。
(ウィキペディア カティンの森事件 )
冷戦終了後にようやく、ソ連は自らの行為だったことを認めた。フランクリン・ルーズベルトは、日本を真珠湾攻撃に誘導した人物でもある。ヒトラーは極悪人のように言われており、私も特に否定はしないが、そのヒトラーと比較にならないほど極悪なのがルーズベルトやチャーチルである。
また、ホロコースト、アウシュビッツについては、こちらを参考に。
電網木村書店 Web無料公開『アウシュヴィッツの争点』
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
逆転ニュルンベルグ裁判!
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/...
このようにヒトラーの残虐行為については英米の嘘を割り引いて考えないといけないが、残虐性があったことも事実である。だが前回紹介したように、「本当は絵でも描いていたかったが、他に任せられないので仕方なく政治家になった」と述べた彼は、ただ単に趣味で残虐行為をしたキチガイではない。愛憎は表裏一体であるが、ドイツ民族に対する愛情が、ユダヤ人に対する憎悪となったのであり、民族の防衛に不可欠だと信じていたのだろう。そして、その結果は、ご存知の通り、ソ連との消耗戦でドイツの国力を削ぎ、第二次大戦後のアメリカの覇権確立の手伝いをしてしまったのである。
ヒトラーの「善」なる側面としては、今や思考能力のある人ならば誰でも気付いている問題、すなわち、私有の中央銀行、国の債務恒久化と一体の利子マネー・システムの問題に答を出していたところもある。
信用、つまり、「人々の全面的な相互信頼と信用」が国のマネーとなり、利払いも政府債務も発生させる必要がないことの事例は、アブラハム・リンカーン大統領によって最初に実現され、同様に、アメリカ南北戦争のときの南部連合国でも達成されている。七十年後にはドイツの民族社会主義政権が、この画期的な発明に追随した。リンカーンは、南北戦争時の状況に加えて、彼が神意と呼んだ神秘的な覚醒をうけて感応し、債務と利子に無縁のグリーンバック(緑背紙幣)マネーを生み出した。アドルフ・ヒトラーも、彼が神意と呼んだ神秘的な力によって衝き動かされていたことが、多くの人々によって認められているが、ドイツと、民族社会主義イデオロギーによって占領したヨーロッパ各国に、債務と利子に無縁なマネー・システムを導入した。この二つの政権が互いに相容れない性質をもつことには驚嘆させられる。しかし、両者とも、「慢性的な政府債務・利子稼ぎのマネー・資本利益率の神」モロクの力に反抗したという意味では共通しているのである。
(R.D.Willing著、拙訳、『地球を滅ぼす人類最後の宗教・マネー/金融システム闇の超期限』徳間書店、p.87)
ヒトラーは「ユダヤ」と表現したが、ある意味、現在も世界支配を続けようと悪あがきする国際ネットワークに本当に対抗していた側面もあったのである。そして政策的にも、今議論されているような問題は、ことごとく網羅していたのである。(話が逸れるがヒトラーついでに。メキシコ湾のBPの原油流出事故はヒトラーの誕生日の4月20日に発生している。偶然かもしれないが、動物衛生研究所で口蹄疫に関する PCR検査の結果、陽性が「確認」されたのも同日である。その意味は不明) 【追記】有名なアウトバーン(高速道路)の整備、史上初の有給休暇等の労働条件整備、動物愛護法・自然保護法の制定、禁煙運動も行った。
ヒトラーは魔術を使い、異次元のメッセージを受け取っていたとされる。だからといって全てを見通す全能の人物だったと過剰評価すべきではないと思う。例えば、ヒトラーは、今流行しつつある自然食の先駆となるような発言をする一方で、予防接種の効力を信じていた。そして、植民地の人間が増えすぎてはいけないので、予防接種はドイツ人だけに限定せよと述べている。天然痘の記事で紹介したように、既に1920年のアメリカで予防接種こそが病気の原因だという情報が出ているにもかかわらずである。このような事実誤認を見ると、天才ヒトラーもやはり限界のある人間だったと思えるのである。また、同盟国だった日本の文化についても、非常に浅薄な認識しかできていない。そして、実際に戦争にも負けた。もちろん、それも計画の内だったと解釈することもできるが、私は単純に考えて勝ちたかったに違いないと思う。
三島由紀夫は、『わが友ヒットラー』についてこう語っている。
ずいぶんいろんな人に、「お前はそんなにヒットラーが好きなのか」ときかれたが、ヒットラーの芝居を書いたからとて、ヒットラーが好きになる義理はあるまい。正直のところ、私はヒットラーという人物には怖ろしい興味を感ずるが、好きかきらいかときかれれば、きらいと答える他はない。ヒットラーは政治的天才であったが、英雄ではなかった。英雄というものに必要な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けていた。ヒットラーは、二十世紀そのもののように暗い。(劇団浪曼劇場プログラム・昭和44年1月)
この微妙なところは、次のナチスの党歌『ホルスト・ヴェッセルの歌』(Horst-Wessel-Lied)を聴くと、言葉ではなく音楽で感じ取ることができるかもしれない。
もしヒトラーが戦争に勝っていれば、現在のような商業主義文明ではなく、純粋な科学文明の高度に発達した(少なくともドイツ人にとっては)素晴らしい世界になっていたかもしれない。今注目されているフリー・エネルギーのようなものも、石油利権に邪魔されることなく推進されていただろう。
だが、そのような文明がいつまで平和に続くのかは疑問である。いずれ、たぶんヒトラーの死後、再び腐敗を始めたことだろう。例えば、水から莫大なエネルギーが取り出せるとしよう。そんな能力を今のレベルの人類が手に入れたらどうなるだろう? 石油程度のエネルギーでも、これだけ地球が破壊されてきたわけである。どんなに素晴らしい社会でも、ヒトラーの個人的な能力で築かれたものであるならば、ヒトラーとともに終わる運命にある。
結論
仮に大衆心理と国際政治を理解し、自国民を愛する政治家がいたとして、今の社会を良くしようと思ったとすれば、どのような方法があるだろうか? 残念ながら私には、ヒトラーが行った手法以外に思いつかない。大衆には、自分で物事を考える能力がなく、マインドコントロールされる存在でしかありえないならば、国際ネットワークとは反対方向にマインドコントロールするしかないのである。そして、マスコミを掌握して民主的な手続きで政治権力を奪取するしかないだろう。
つまり、どうしても理想の政治家を求めるなら、私の想像力では、ヒトラー以上の人物は想像できない。ヒトラーは、世界史上最後の本物の「政治家」だったのかもしれない。
だが、その結果の歴史はご存知の通りであり、ヒトラーが理想と思っているわけではない。「どんな政治家なら理想的なのか?」という問いに対する私の答は、「理想の政治家など存在しない」である。
「理想の政治家」を求める心理は「依存心」である。「自由」を連呼しながら、本当に自由を求めている人は、ほとんどいない。自由よりも安定した生活が好きな人が圧倒的に多い。そして安定した生活を与えてもらいつつ、自由も楽しみたいなどという厚かましい発想をする。そんな素晴らしい環境を与えてくれるリーダー(政治家)を求める。与えてくれなければ不平を言い、「改革してほしい」と別の人に頼む。
そうした人間が多い限り(そのような人間が撲滅されるまで)、まだまだ惨事は続く。そうした依存心の強い人間があまりに多いと、次の文明ステージに移行できないのだ。そういう意味ではビル・ゲイツも良い仕事をしているし、世界各地で石油流出同時テロをして人間を駆逐するのも大事なことなのである。
一方、世界中で心ある人々は、覚醒を呼びかけている。これは依存心の強い人々を、独立した人間、自分で考える人間へと目覚めさせるための教育・啓蒙活動ともいえる。つまり、依存心の強い人間を減らすという意味では、同じことをしているわけだ。殺して減らすか、教育して変えるかの違いである。ちなみに、私はこのホームページを自己啓発またはセルフラーニングのためにやっている。
これは妄想だが、次の文明ステージは「組織なき秩序」になると思う。国も企業も、固定的な組織はすべてなくなり、自立した個人の流動的なネットワークで共同作業が行われる。あるいは顔が覚えられる程度の人数からなる共同体が世界中にでき、それが通信ネットワークで相互に連携する。共同体の運営は、リーダーというよりも、マンションの管理人とか持ち回りの町内会長みたいな感じの存在が行う。「必要か否か」ではなく、「楽しいか否か」がメインの価値観になる。依存心の強い、群れるのが好きな人間は滅びるか、あるいは、一段階身分の低い職能別の「家畜」として存続するだろう。
こんな世界を「ワン・ワールド」とか「新世界秩序」と呼べないこともない。
鳩山さんは、きっとそんなことを言いたかったのではなかろうかと思う。(終)
