掲載2011年12月20日

為清 勝彦

マネー・カルト脱出マニュアル(2) トイレレス・ソサエティ

人間以外の生物でも巣を作ったりして、自分の都合に良いように自然に手を加えることがある。人間には、中途半端な知能(自然界の仕組みを完全に理解できるほど高い知能はないが、自然界を破壊するには十分な知能)があるので、厄介である。

いつからかわからないが、人間は、自分の生まれてくる場所を「ワイセツ」だと考え、自分が出すものを「汚い」と思うようになった。おそらく都市の形成(河川の流域の盆地や平地に集中して住むようになったこと)と同時期だろう。思考とは分けるということで、キレイな部分と汚い部分、上品な部分と下品な部分を分け、一方は存在しないかのように自らを欺くのが人間特有の習性である。そうして「汚い」と思う部分を徹底的に目の前から消すように努力してきた結果が、現代の水洗トイレであり、下水道処理システムである。

この人間の自己欺瞞に徹底的に対抗している人がいる。キノコの写真家の伊沢正名氏である。エコに関心がある人ならば、コンポスト・トイレとか、バイオ・トイレのことならば、聞いたことがあるだろう。だが、伊沢氏は『くう・ねる・のぐそ』(山と渓谷社)で、こう述べている。

(略)ウンコを肥料や燃料として活用することには大賛成で、それに反対する気持ちなどさらさらない。しかしそこには、たったひとつだけ、大切なものが欠けていると感じることがある。それは、自然への感謝とお返しの気持ちだ。

自然からの恵みである食料を、いったん人間社会に取り込んでしまったら、たとえウンコになっても自然には返さない、というのでは、あまりに了見が狭いのではなかろうか。野糞は、直接人間の生活には役立たないかもしれないが、長い目で見れば、生きものたちを活性化して自然を豊かにし、めぐりめぐって人間にも益をもたらしてくれるはずだ。

現在の主流のし尿処理はどうなっているのだろうか。日本最大の下水処理場である東京都下水道局の森が崎水再生センターのホームページに「下水道のしくみ」という図があるのでご覧いただきたい。

http://www.gesui.metro.tokyo.jp/odekake/syorijyo/03_11.htm

このようにして、我々のウンコは濃縮・脱水して、「焼却」されている。一部は、肥料や建築資材に利用されているそうだ。水分は「塩素消毒」されて海に放流されている。こうして土壌の栄養は奪われる一方で補充されないわけであるから、現在の農作物にはミネラル分がなくなっているのも当然だろう。マイク・アダムスによると、ミネラル分の不足が、「もっと食べたい」という渇望を我々に感じさせ、肥満(糖尿病)の原因になっている。

それだけでなく、各家庭から下水処理場までの遠い道のりにどれだけのエネルギーが費やされているか、容易に想像できるだろう。よく下水道工事で道路が渋滞しているが、それだけ頻繁なメンテナンスが必要ということである。また、高低差をつけるためにポンプで汲み上げたり、詰まっていれば高圧をかけて流さなければならない。ウンコのために非常に大掛かりな仕組みができあがっているのである。

どうして自由にウンコしてはいけないのか?

野生動物はもちろん、飼い猫であっても基本的には自由にその辺でウンコしている。どうして人間はその自由を失ったのだろうか? あるいは自ら放棄したのだろうか?

江戸時代には、糞尿は「金肥」として価値が認められていた。これが欧米化により、化学肥料に置き換わり、さらに水洗・下水道システムが衛生的という観念も生じた。もう一つ、見逃していけないことは、近代化を経てウンコが臭くなったことである。肉食の弊害だ。伊沢氏がこれを実証している。

初期の段階では、もともと腸内にいた大腸菌や乳酸菌などの嫌気性菌が、ウンコとなって体外に出てからも分解を続け、ウンコ本来の匂いからヘドロやドブのような悪臭を発するようになる。つぎに、土の中にいる好気性菌がウンコの周囲から分解をはじめると、すこしツンとした刺激はあるものの、むしろ香辛料のクローブ(丁子)のような香りがしてきた。中には、うっとりするようなキノコ臭や木の香り(針葉樹の樹脂臭)がしたものもある。

(略)〔野糞して〕8日後の99番〔標本の一つ〕だけは糞臭そのものだった。このウンコは前日にステーキ250グラムを食べたもので、図らずも「肉食動物のウンコは臭い」ことを証明した。

肉食(乳製品もそうだろう)によって臭くなったウンコを前提にして、我々はウンコは汚いと思っている。だから可能な限り迅速に目の前から消えるように、水で流したくなるわけだ。しかし、それはウンコの臭いであると同時に、肉食する人の腸内の状態でもある。人々が自由に野糞する理想世界を想像したときに、真っ先に想定される悪臭の問題は、食生活を改善すれば気にならないレベルになるだろう。もちろん、伊沢氏のようにスコップを持参して埋めれば、臭いの問題はない。

次に想定されるのは、人口密度の高い場所で、人々が自由に野糞をし始めた場合に土壌の分解能力が追いつくのかという問題である。伊沢氏は、実験結果から、夏場であれば1ヶ月程度で分解が完了するが、冬場は分解が進まないため、基本的には同じ場所で野糞をするのは一年に一回にすべきだと主張している。また、一回に野糞するスペースは、足の踏み位置などを勘案し、50cm四方必要だろうとしている。毎日1回ウンコするとすれば、1m四方で4日分、10m四方で400日分になる。つまり、一人当たり1アール(100㎡、30坪)必要ということだ。日本全国で考えれば、森林面積の20分の1で1億2千万人がカバーできることになるが、都市部だけで考えると、これだけの一人当たり面積を確保するのは不可能だろう。これは、都市生活というのは、本来の人間の生活スタイルではなく、長期的には成立していないことを意味する。

もう一つ問題として考えられるのは、糞尿中の有害物質である。食品添加物や医薬品である。これについては伊沢氏も指摘されているが、地球全体で考えれば、下水処理しても野糞でも同じことであり、その濃縮度からすると下水処理の方が問題が大きいと思われる。もちろん、添加物を避けるなど食生活を改善することで、そもそも病気にならないようにすればよいことだ。自然というシステムの中で人間が何をしているか、人間の役割を考えてみれば自明なことであるが、ウンコこそが人間の創造物である。できるだけ良いウンコを創造することが人生の目的であると言っても過言ではないだろう。そのためには、何を食べるかは極めて重要であり、そこにこだわる人こそが「クリエーティブ」と自称する資格があるのではなかろうか。

野糞の効用

一方、人々が野糞をするようになると、現在の下水処理に費やしているエネルギーや環境負荷はなくなり、それが我々の家計簿的には「下水道代」の削減となって現れる。具体的には、トイレのフラッシュに使用する水が不要になり、水道料金が減る(水道料金は上下水道で連動して計算されている)。もちろん、これから住宅を新築するならば、トイレの設備が不要になる(自治体のいろいろな規制があるだろうが)。トイレを使わないのだから、トイレ掃除の洗剤や道具も不要だ。

また、1970年代から野糞を始めた伊沢氏は、オイルショックをこのように回顧している。

この年(1978年)は第二次オイルショックの影響で、人々が洗剤や砂糖などの買い占めに走り、店頭からトイレットペーパーが姿を消すという、おかしな騒ぎが日本中に広がった年でもある。生活必需品とはいえ、尻拭き紙ひとつでこれほどまでのパニックに陥る「文化生活を送る日本人」の脆さを目の当たりにして、情けなくなってきた。エゴの塊・屎尿処理場反対運動のつぎは、糞紙の買い占めか! ウンコ問題には人一倍強い関心を持つ私は発憤して、もともと少なかったちり紙消費量を、さらに減らしてやろうと決意した。代替品は、もちろん葉っぱだ。

なお、尻拭きには、その名の由来の通り、「フキ」の葉が良いそうである。自然災害の避難生活でもトイレが一番大変だといわれる。オイルショックもそうだが、こうした非常時にトイレが最大の問題になるのは、現代の生活にどこか根本的な間違いがあるからではなかろうか。

そして、何よりも、人間は野糞をすることで自然の大循環の一部になる。植物が光合成で無機物を有機物に変え、動物がそれを食べ、動物の排泄したものを菌類が分解して植物の栄養を提供するというサイクルの中に溶け込むことができるのである。

トイレのない世界

人間というものは、一部だけを見て自己満足してしまう癖がある。健康や環境への関心から遺伝子組み換え生物、家畜のエサなど食べ物のことを問題視する人は多いだろうが、その反対側のウンコのことは盲点ではなかろうか。野糞という常識的にはありえないことを実践し、新たな視点を与えてくれた伊沢氏は、「トイレのない家」から着手し、最終的に「トイレのない世界」を目指してはどうかと提唱している。

人口密度の低い自然豊かな田舎町なら、トイレのない生活は十分可能なのだ。トイレのない町とは、みんながのびのびと野糞ができるように、町中やその周辺に気持ちのよい林を整備する、緑豊かな生活空間を目指した環境作りでもある。また、現在の日本社会では人間関係が急速に薄れ、さながら「隣は何をする人ぞ」の世界になってしまった。しかしトイレのない町では、みんなの森でみんなが野糞をして尻合いになり、それぞれのウンコが協同して森を育てていくのだ。

そもそも土とは何だろうか? 日本神話では、「国土」は神々が生んだとある。それを引き継ぎ、我々が国土を生み続けなければならないのである。

関連情報

糞土研究会 ノグソフィア http://nogusophia.com/fundo

マネー・カルト脱出マニュアル「現状分析編」

「豚インフルエンザとマネーカルト」(2009年11月25日)

「ドゥ・ナッシング」(2010年1月26日)

Do You Know You? 「自分」探しの旅(2010年4月1日)

終末予言の論理的解明(前編)(2010年7月6日)

終末予言の論理的解明(後編)(2010年7月13日)

マネー・カルト脱出マニュアル「実践編」

(1)マインドコントロールされた味覚を解除せよ!(2010年12月22日)